筋肉はなぜつくのか?
筋肉がつくというのはカラダがその負荷に対する適応です。
それには「サイズの原理」というのがかかわってくるんですが、それはまた今度。
例えば、筋肉つけたいと思い、1キロのダンベルでやってもつかないんです。
あなたには、日常生活で1キロの物を上げるくらいの筋肉がすでに備わっているから。
じゃあ5キロはどうでしょう。
5キロってあまり持って何回も上げたり下げたりしないですよね。
それをやっていくと、5キロ持てるようにカラダが適応して5キロ持てる筋肉がつくのです。
で、それからずっと5キロでやっても筋肉はつきません。
もうすでに5キロに適応した筋肉がついているので。
もうちょいつけたいと思ったら次は7キロで。
じゃあ今度は7キロに適応した筋肉がつきます。
筋肉がつくっていうのは新しい刺激へのカラダの適応なんです。
だから筋トレしたからって無限に筋肉つくわけじゃないし、調整できるんです。
2014.08.29 【原因を一つずつ潰していく】
あなたがもし太っているとしたら必ず原因があります。
太る原因が。
それを一つずつ見つけて潰していかなければなりません。
お菓子食いすぎてないかい?
夜中に食ってないかい?
筋肉少ないんじゃないかい?
食いすぎてないかい?
運動してないんじゃないかい?
炭水化物オンリーの食事じゃないかい?
栄養バランスが悪いんじゃないかい?
ダラダラしてんじゃないかい?
本当は変わりたくないんじゃないのかい?
本気じゃないんじゃないのかい?
情報だけ得て、その気になってるんじゃないかい?
行動してないんじゃないかい?
2014.08.28 【友達がいなくなっちゃう】
もし、今あなたがボディメイクとか美意識とかに無縁のグループに属しているのなら、あなたが細くなって美しくなろうと頑張ると、その友達はいなくなっちゃいます。
いなくなるというよりは、離れていきます。
自分だけ細くきれいになるなんて許せないのです。
あなた自身もその友達と距離を感じることになると思います。
僕自身ここ4年で様々なことを勉強し行動し、お金もある程度稼げるようになってきて、最近思うのは友達がいなくなってきたということなんです。
「4年前は楽しくしゃべってたのになぁ」って思うんです。
当然と言えば当然なんですけどね。
セルフイメージの高さが違ってきているんです。
会話がなんかかみ合わないんです。
まぁ僕はそのことに対してなんとも思っていないので構わないのですが。
でも、自分のセルフイメージが上がってくると、その高さの新しい友達ができます。
美意識の高い友達ができてくるということです。
2014.08.22 【伝言ゲーム ~一次情報を得よ~】
みなさん伝言ゲームって知ってます?
あるメッセージを順に伝え、最後の人に正確に伝わらない様を楽しむ遊びです。
これと同じことが日常で頻繁に起きています。
人から人へ伝わるうちによくわからない話になっているってことありますよね。
だから、情報はなるべく一次情報を得るべきです。
一次情報とは情報発信した一番初めの人。
それか、その情報を実践して結果を出している人から聞くべきです。
もし僕のお客様が友達にこう聞かれたとします。
友達A 「細くなってきたけど、SmartStyleで何やってるん?」
お客様 「ガッツリ筋トレ」
お客様の答えは正しいです。
僕はお客様には必ず「筋トレだけでは痩せない食事管理が8割です」ということを言っていますが、SmartStyleで行っていることは筋トレなので。
この時点で友達Aは筋トレすれば痩せると思いますよね?
で、この友達Aが友達Bに言います。
「筋トレすれば痩せるで。友達痩せたから」ってな具合に。
僕(一次)→お客様(二次)→友達A(三次)→友達B(四次)の順で、三次に情報が行く頃には、「筋トレすれば痩せる」となってしまっているのです。
だから、情報は発信した最初の人もしくは実践して結果出している人に聞くべきなんですよね。
2014.08.21 【生きるために食っているのか、死に急ぐために食っているのか?】
今の飽食の時代、出されるものを全部たいらげていたら確実に肥満になる。
生きるために食べているものが、生活習慣病などの原因になり死に急いでいる。
食べるものがなかった時代から脈々と今の時代にも根強く
「残さず食べなさい」
が、残っている。
親や学校に言われ続けて、残すことが悪かのごとく洗脳されてきた。
勇気をもって残そう。
こんなこと言う僕も食に関しては
「人間は命あるものを殺して生かされている罪深いものである。
自分が生きる為に死んでくれた動物や植物がたくさんいるということ。
生きるために生物を殺すことは残酷なことではない。
しかし、その罪を感じ、感謝の念を持たなければならない。
ベジタリアンとてそれは同じなのである。」
という思いがある。
だから、残すことに「もったいない」という気持ちある。
けれど、病気になって死に急ぐことはしたくないのである。